自殺配信から死について考えたー死んだら全て終わりー

2月18日とある場所で女子高生が自殺配信して死んだ。今現在もその動画はtwitterで拡散され続けている。

その自殺配信動画を不謹慎ながら観てしまったので、その配信を観て感じた事と自らの死生観について語っていく。

自殺配信について

自殺配信の内容はまず駅(自殺した駅ではない)のホームから始まる(終始無言。ずっとカメラは下向き)、そこから電車に乗り自殺する駅で降りた後ホームのベンチに荷物などを置き、撮影しているスマホをベンチに立てかけたあと、彼女は通過予定だった特急電車が来るタイミングで線路を飛び出し間もなく轢かれる。

 

まず印象に残ったのは、計画的で死へ飛び込むことに何の躊躇もなかったこと。

彼女は特急電車が通過する時間を事前に調べて計画していて、死ぬと言う確固たる意思を持っていたのだろう。

落ち着いた様子で特急電車と接触するギリギリで線路に飛び出していく姿が忘れられない。

ここまで自殺を固く決意してしまった彼女にとってのこの世界がどれだけ救いのない世界だったか。

僕の考えだと彼女には心安まる居場所がどこにもなかったのだろう。

家にも外にも、自分を受け入れてくれる人もいなかったのだろう。

そして死にたいと言うことしか頭になくなって視野が狭くなり、自分の狭い世界で死を選んでしまったのだろう。

 

今改めて思えば電車のホームって死のうと行動すれば簡単に死ねる場所なんだよな。

黄色い線で生と死が分けられているだけでそこを踏み出せば死ぬことが出来てしまう。

都心の駅だとホームに飛び出しを防ぐガードレールが設置されているが設置されてない駅が殆どだ。ガードレールが設置されれば簡単に死ねなくなるから電車での自殺が少しでも減ってくれると思うので全国全てとはいかないまでも、できだけ多くの駅にガードレールを設置してほしい。

と、言っても俺が電車での自殺志望者だったら意地でもガードレールのない駅探してそこで死にそうだけど。

生きてて良かったと思う一瞬はある

僕もクソみたいな人生を送っているので死にたいと思った事はある。

自分の見た目や頭の悪さや運動オンチで数え切れないほど見下され馬鹿にされ嘲笑われていた。

けどやり返す言い返す勇気も反抗する度胸もないクソカスな俺は自分自身にストレスを溜め込んで、時にはそれを家族にぶつけていた。そんな自分が嫌になって死ぬべきだと思うときもあった。だが、そんなクソな人生にも生きてて良かった瞬間は存在した。

・美味いもん食ってる時・不可抗力で電車のホームで階段上ってる女学生のパンツが見えた時・(下品だけど)めっちゃエロいのでシコってる時・好きな映画や漫画を見て心からから感動した時・凄く些細なことで他人と気持ちが分かり合えた時。・綺麗な景色を見て感動した時。

など、嫌なことばかりで負け犬と思われクソみたいな人生でも生きてりゃ気持ちいいことや人の温かさを感じる瞬間は必ずある。生きてさえいれば細やかな楽しみがあると思うと自ら死は選べないという結論に至る。

こんな自分だったら死んだ方がましだ!って死ぬくらいならなら強くなって馬鹿にしてきた奴ら黙らせてやる!って気概で足掻いて日々成長して生き続けてやる。今は自分と戦っています。

 

僕の死生観 ー死んだら全て終わりー

 僕は死んだ後は何もないと思っている。天国も地獄もない輪廻転生もない死んだら終わりと。

天国地獄なんてのは生きている人が悪さをしたら地獄に行くと言って人を畏れさせ、良い行いを重ねたら天国に行けるなど謳って人が悪事を働かないように作られた昔話だと思っている。

輪廻転生も信じない。僕らはクソ広い「宇宙」の中で超超超奇跡的な確率で「地球」という星で「人間」として生を受けることが出来ただけ。

だからこそ今しかない、一度きりの人生を一生懸命生きて楽しもうと思う。